子供が将来なりたい職業を話してくれた時に気を付けて欲しいこと ~私がkurumaと名乗るワケ~



ちょっとおこがましいのですが、この記事を読んで下さるあなたへお願いがあります。

お子様があなたに対して、「将来◯◯になりたい!」「◯◯をやってみたい!」と話してくれた時に、『いきなり』否定しないで欲しいというお願いであります。

もちろん、「そんなことは言われなくても分かっている」とは思いますが、私は子供の頃に親にいきなり否定されてしまった為に、ずいぶんとムダな時間を過ごしてしまいました。

私の両親は私の為に、否定してくれたハズなのですが、結果的に私の為にはならなかった部分が多かったように思います。

出来れば、私の様にムダな時間を過ごす子供が少なくなるといいなと思い、この記事を書いております。

そんな訳で今回は、私・kurumaのお話。

私が「自動車関連の仕事をしたい」と両親に話した時に、「それは止めておきなさい」と、いきなり否定されて、ショックを受け、やりたいことが無くなってしまったお話しです。


そして、この記事を読んでくれているあなたが、まだ「子供」であるならば、もし万が一、お父さん・お母さんから将来の希望や夢を否定されても、へこたれないで欲しい。

これはすごく難しいお願いかもしれない。
(私は出来なかった。。。)

でも…へこたれないでね。

それでは、しばしお付き合いを。

目次

1、自動車好き
2、英才教育?
3、否定と反動
4、親の気持ち
5、子の気持ち
6、まとめ


1、自動車好き

あなたは子供の頃、何が好きでしたか?

私は圧倒的に車・自動車でした。もちろん、他にも好きなものはいろいろありました。しかし、理由が無いほどに、ただ純粋に好きなものは車だけ。

車なら何でも良い訳ではなく、自分の気に入った車が好きで、特にスポーツカーが大好き。ただしF1の様なフォーミュラーカーは好みでなく、市販車のなかで自分がカッコいいと思った車が好きでした。

マンガで言うと、「よろしくメカドック」(次原隆二さん)が、どストライク。

どのくらい、好きだったかを表現するのが難しいのですが、小学生の頃、自宅の庭に廃車になった車が置いてあり、その車の事も気に入っていました。

ある日。うちにレッカー車がやってきまして、そのお気に入りの車を持っていこうとする現場を目撃しました。私は大騒ぎで父に報告しましたが、それは父が廃車を処分する為に読んだ業者さんでした。

父ののんびりした反応と「レッカーで運ぶ様子が面白いから見ててごらん」的なセリフに驚きつつ、私はその廃車が自分にとっていかに重要で必要なものであるかを、涙ながらに訴え、見事に業者さんを手ぶらで帰らせるという偉業を成し遂げる程度には、車のことが大好きでした。

2、英才教育?

さて、そんな私の父親は、実は車関連の仕事が多かった人です。

そもそも、子供のころから親戚の自転車屋さんに入り浸り、自転車をバラして組み立てたり、故障したバイクを直していたらしい。

母と結婚する頃にはレーサーにも興味があり、ライセンスを取ろうとしていたところを、母の父に大反対されて断念。

その後、自動車教習所の教官を経て、農協(今のJA)に転職。

農協でも車関連の仕事をしており、私が小・中学生の頃はガソリンスタンドで働いておりました。

そんな父をもつ私が、初めて車を運転したのは◯学生高学年の頃。

もちろん公道ではなく、田んぼの中で軽トラ(笑)。

当時は軽トラ(軽自動車のトラック)にオートマなどは無く、マニュアルです。

始めて運転した感想は、「難しい」「上手く出来ない」しか覚えていません。残念ながら運転のセンスはありませんでしたね。まあ所詮、田んぼで軽トラですが。。。

その後も高◯まで、田んぼの中のみですが、軽トラでの運転に加えて、トラクターや田植え機も少し運転しました。

◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇

私の住んでいる地方は冬には雪が積もる為、自動車のタイヤを夏用(ノーマル)から、冬用のスタッドレスタイヤ(大昔はスパイク)に交換する必要があります。

そんな家庭でしたから、当然ながらタイヤ交換は自宅で行います。私は小学生位から手伝っていました。

そして、雪国のかたはご存じですが、タイヤを冬用に交換する前に雪が降ってしまうと大変です。夏用のノーマルタイヤでの雪道走行は大変危険。この為、天気予報よりも早く雪が積もってしまった場合など、タイヤ交換がご自分でできないご家庭は困ります。

そこで、なぜか父の出番です。どんな農協のサービスだったのか、父の親切心だったのか、突然の積雪時には複数の家を廻ってタイヤ交換をしておりました。

そして、中学生頃からの私も日程があえば、このタイヤ交換サービスを手伝っておりました。

おかげで今でも軽自動車は自分でタイヤ交換しております。
(ミニバンは重いからガソリンスタンドにお願いします)

こんな感じで、ちょっと車・自動車関連の英才教育チックな環境で育ちました。

生来の車・自動車好きと相まって、将来は自然と自動車関連の職に就けたら良いなと思っておりました。

3、否定と反動

そんな私が、「将来は自動車関連の仕事をしたい」と両親に話した時に、「それは止めておきなさい」と、いきなり否定されてしまった時はショックでした。

なぜなら、自分の好きなことであり、父の仕事を継ぐようなものだから、まさか両親に反対されると思っていなかったのです。


父母曰く
整備の仕事は環境が悪い上に大変である
教習所の教官は座り仕事で腰を痛める
自動車メーカーに勤めても工場ならば同じ作業をするだけ
販売もノルマがあり大変である
レーサーは危険であるし、そもそも簡単になれるものでは無い

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思い起こせば、確かに父母からこれらの話の断片は聞いておりました。

整備工場は夏暑く冬寒い。無茶な修理依頼がある。

父が教習所の教官を辞めた理由は腰を痛めたから。

大学を卒業して、大手自動車メーカーに勤めた親戚が、工場配属となり、朝から晩までハンドルを取り付ける作業だけをしているそうだ。

父は農協に勤めていたころ販売部門に配属された時が、ノルマがきつく一番大変であった。

レーサーが危険なことは言うに及ばず、その前にまず周りから反対されるものだ。そして、とにかく簡単になれるものでは無い。。。

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しかし私はそれでも、やってみたいと思ったはずだったのに、両親のいきなりの否定に思いが全部飛んでしまいました。

何も反論出来なかった私は、「じゃあいいや」と投げやりになってしまい、簡単に夢を捨ててしまったのです。

好きだったからこそ、その反動は大きく、将来やりたいことがなくなり、普段の生活も堕落していきました。高校時代が一番ひどく怠けており、高校3年で自分のダメさ加減に気付くまで、本当にムダな時間を過ごしてしまいました。

そして、車の運転にも興味が無くなりました。

田舎での暮らしは車が必需品。この為に高校3年で進路が決まれば、自動車学校に通うのが普通です。私も両親もそのつもりでいました。しかし、夢を捨ててしまった私は、車の免許をとるつもりは無く、自動車学校に通うことなく高校を卒業し、自動車関連とは全く関係の無い道に進みました。

4、親の気持ち

さて、当時の私は自分のことで頭が一杯で、どうして父母がそろって否定したのか、親の気持ちを考えることが出来ませんでした。また、まったく分かりませんでした。

しかし、今の自分には少し分かる気がします。

おそらく一番は、「自分がしてきた苦労を子供にはさせたくない」という気持ちだったと思います。

その業界・業種について深く知れば知るほど、今の問題点や将来の展望にシビアな考えになっていくのは、当然といえるでしょう。

今の大変さと将来の大変さがハッキリと分かっている(と思っている)職を、子供にすすめられなかったんだと思います。

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そして、これは最近知った衝撃の事実なのですが、今回の記事を書くにあたり、母にこの時の気持ちを聞いてみたところ…

何と!全く覚えていませんでした(笑)。

つまり、少なくとも母は本気で否定した訳でもつもりでもなく、知っていること・思ったことを素直に話してくれただけだった様です。推測にすぎませんが(汗)。

もしかしたら、父も同様だったかもしれません。そして、少しくらい否定されても本気でやりたいことならば、マイナス面の知識を得た上で、挑戦すれば良いと思っていたと思います。完全に推測ですが。。。

5、子の気持ち

『親の心、子知らず』

なんて言葉もありますが、まさに親の気持ちが全く分からなかった私は、自分のダメな理由を探しました。

運転する時、
クラッチ操作がヘタだった。
減速時に入れるギヤをよく間違えた。
バックでの左右もよく間違えた。

…など。とりとめもなくマイナス面の事が浮かんできて、車に対する興味がどんどん薄れていきました。

今思うと、大切なものを否定されたと思いたくない為に、「大して好きでもないことを否定されただけだ…」と考えたかったのかもしれません。

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そう、つまり私は簡単に『へこたれて』しまいました。

親に反発してでも、自分の好きなことに挑戦してみても良かったのに、何もしない道を選んでしまいました。きっとそれが楽だったから。しかし楽だから楽しいという事ではありませんよね。

今思うと、高校時代の無気力なころのムダな時間は、本当にもったいなかった。でも、それに気付けるのは自分でしかなく、そのムダな時間を過ごしたからこそ、それ以降の生活で色々挑戦できたのかもしれません。

そして時は流れて、今の私は車の免許も取りまして、いわゆるマイカーも所有しております。仕事としては車と関わりあえませんでしたが、かなり満足度の高い生活が送れております。

しかし普段は考えませんが、ふと、「車を大好きな気持ちのままで、自動車業界で挑戦してみたかったな」という考えが頭をよぎることはありますね。

6、まとめ

おこがましくも『子供が将来なりたい職業を話してくれた時に気を付けて欲しいこと』とのタイトルで、私のことをお話ししてまいりました。

まとめです。

★親のあなたへ

(1)『いきなり』の否定をしないで欲しい
(2)子供は親の心が分からないので丁寧な説明が必要かもしれません
(3)好きなことに全力で取り組む子供を見てみたいですよね


★子のあなたへ

(1)誰かに将来の希望や夢を否定されても、へこたれないで欲しい
(2)重要な話でも何となくで返ってくる言葉もあるかもしれません
(3)好きなことに全力で取り組んでみたいですよね

以上となります。

では偉そうにお願いしている私は、ちゃんと出来ているのか?

正直、難しい。ですが、自分なりに全力で心がけております。

そして18年くらい子育てをしてみて、子育てで一番大切なことは、『話す』ことではなく、『聴く』ことだと気付きました。

これが正解かは分かりませんが、そう信じて子育てをしています。

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さて、サブタイトルの
 ~私がkurumaと名乗るワケ~
ですが…

そう、やっぱり私は車が好きなんです。

今となっては、自動車業界の職に未練は無いのですが、『意地』ですね(笑)。

意地っ張りの私は、今、kurumaと名乗っています。

それでは、ここまでお読み頂きありがとうございました。私の体験と勝手なお願いが、少しでもあなたの参考になればうれしいです。

また、お会いしましょう!


kuruma

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