コロナ禍のちぐはぐ感

私が決定的に違和感を、圧倒的なちぐはぐ感を感じたのは4月20日のことだ。

大阪でのコロナウイルス感染拡大にともない看護師の方々が70名派遣されるというニュースをみた。

衝撃的だった。

コロナの感染拡大地域にわざわざ行って、その最前線で働いて下さる人がいるという。その一方で楽しそうなニュースやコロナウィルスを忘れたかのような暮らしぶりも見えるのに。

なぜにここまで不公平なのだろう?

大阪に行ってくださる看護師さんは、そのご家族はどんな思いなのだろうか?

とにかく頭が下がります。

また今回に限らずですが常に医療現場に立ち続ける医師や看護師の皆さんには感謝と畏敬の念しかございません。ありがとうございます。

私には何の力もありませんが、出来ることがあれば協力したい気持ちはあります。また愚痴ぐらいは聞けると思いますので何かありましたらTwitterでDM下さい。

さて、この件をきっかけに今現在の自分の考えと思いを書き綴ってみることにした。ほとんど独り言となってしまうかと思いますが、専門的な知識はなにもないただの一般人がコロナ禍に対して考えている感じていることを吐き出してみます。

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大阪では新規感染者が連日の1000人超え。日本全体的に見ても東京を中心にまん延防止等重点措置が適用されている。いわゆる第4波がもう始まっているのだろう。3度目の緊急事態宣言ももうすぐ発令されるだろう。

2020年に予定されていた東京オリンピックは今年の7月23日に延期されたわけで、聖火リレーは四国の方を走っている。見たわけではないが。

ワクチンの接種はなかなか進まないようだ。国別のワクチン接種回数を見ると、トップのイスラエルが100人あたり119.32回なのに対して日本は1.53回。

ちなみにアメリカは62.61回でドイツは26.19回。中国で13.35回にインドネシアが6.1回。おとなりの韓国で3.08回。(4月20日現在)

そんな中しばらく前から自粛疲れなる言葉も聞こえてきた。

いつから自粛が始まったのか判然としないが1回目の緊急事態宣言が出されたのは2020年4月7日。東京など7都府県に対する宣言でその後、4月16日に対象を全国に拡大。解除は段階的に行われ5月25日をもって全国で解除された。

解除されたからといってコロナウィルスが消えてなくなった訳ではなく、感染予防・対策が不可欠であることを思えば1年以上の自粛生活ということになるのだろうか。

コロナウィルスに関するニュースを見ることはもはや天気予報を見ることよりも当たり前になった日々の中で感じることは、圧倒的なちぐはぐ感。

未知のウイルスに対して認識がズレることに不思議もないが、個人および団体での認識のズレがあまりにも大きいと感じる。

6年生を送る会が出来ないのに、大人の送別会は出来る不思議。しかも感染。

オリンピックは開催しか考えていないようなのに、部活は中止しか考えていないようだ。

テレビのニュースやワイドショーといった番組にも違和感を覚える。悲しげにコロナ関連のニュースや話題を扱ったあとに楽しげに聖火リレーの話をする。街に人が多いと感染の心配を指摘し、人が少ないと経済活動の心配をする。

間違いなく誰しもコロナウィルスに感染したくないはずだ。

しかしながら、どのくらい感染したくないのかの度合いには違いがあると感じる。どのくらいの感染症対策・予防で防げるのか防げないのかの認識も違うのだろう。

また、コロナウィルスの収束・終息に関する認識も違うようだ。

話が戻ってしまうが、そもそもコロナウィルスそのものに対する認識からして違っているからちぐはぐなのだろう。どのくらい違いがあるのだろうか?

私には違いを測る術がないのでせめてこの文章を読んで下さっているあなたとの違いをお伝え出来るように、私のことを主に感染予防について次項に書いてみる。よかったら比較してみて下さい。

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地方在住の47歳男性。妻と子供3人。長男はひとり暮らしのために4人で一軒家に住んでいる。

仕事は工場での製造業のためにリモートワークは不可能なので出社している。通勤は車。

帰宅時の手洗いうがいは以前より実施していたが、より頻繁に行うようになった。マスクは仕事のある日は妻の手作りマスクを、休日は市販のウレタンマスク。人が多くいる場所に出かける場合は不織布マスクを使用している。

この1年間での外食回数はほぼ0回。「ほぼ」というのはテイクアウトしたものやコンビニなどで購入したものを車で食べることはあるから。つまり店内での食事は一切していない。飲むことに関しても、せいぜいショッピングセンターなどでペットボトルの飲み物を飲む程度。もちろん居酒屋などにも行っていない。

県外への移動回数は3回。息子の大学受験時に1回と引っ越し時に2回。妻の実家は県外(東京)のために帰省は我慢している。

今年中学1年になった娘と小学4年生の息子をどこかに遊びに連れて行く先は書店(古本屋も含む)かショッピングセンター。映画館やゲームセンターなどの遊戯施設には連れていってあげられない。TDLなどももちろん行ってない。外出時の飲食は前述した通り基本的に車の中。状況しだいでは屋外で飲むこともあった。(タピオカとか)

床屋にも行かず自宅で妻にカットしてもらっている。(バリカンを使用してボウズにしている)

毎年恒例のご近所さん(いわゆる隣組)との飲み会みたいなものも中止にさせて頂いた。会社を含め送別会や暑気払いなどのイベントは皆無。

外出先で一番多いのはスーパーマーケットでの食料品の購入。

休日を含む家での過ごし方は、読書(マンガ含む)にYouTubeを見る、Twitter、ブログ。あとは全く好きではないが小さな畑と田んぼがあるのでその管理的なこともやっている。

私は今の生活を失いたくないので感染したくない。もし仮に感染してしまったら田舎でこのまま暮らすことは出来ない。おそらく引っ越しをしなくてはならない状況になるだろう。会社も辞めることになるから確実に路頭に迷う。

以上。

いかがだったでしょうか?あなたと私でどれほどのズレがあったでしょうか?それでは次に私が最も違和感とズレを感じていることを書いてみます。

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一番不思議に感じていることは、何となくこのままで感染が収束・終息すると考えている人がいること。今のままでは感染は収束しないだろう。そもそも日本は収束・終息を目指しているのだろうか?

非常事態宣言などで人との接触機会を減らせば感染者は減る。しかし元の暮らしに戻した途端に人との接触機会が増えることとなり感染者は増える。これはこの1年で分かったことだ。

つまり今のままではもう2度と以前の暮らしには戻れない。

戻るためにはコロナウィルスの撲滅しかないが、どうやらこれは難題。ワクチンが効果を上げたとしても世界中での根絶は難しいだろう。またワクチン自体にもリスクがあるかもしれない。

そして世界中で根絶されない限りは再拡大の可能性が常にある。今回の始まりが中国の武漢であったとして、世界がつながっている以上は人と人とが行き来する以上は、どこが第二の始まりの場所になろうとも不思議はない。(コロナウイルス以外の新しいウイルスが発生する可能性もある。)

そして人の行き来を止めることはほぼ不可能だ。例えば日本だけで考えたときに日本国内だけでは生活が成り立たない。江戸時代の鎖国中の暮らしに戻ることが出来るなら可能かもしれないがムリだろう。鎖国中であっても一部貿易は行われていただろうし。

だからおそらく元の生活に戻ることを考えるよりも、新しい生活を確立していくより他はないと思う。もちろん元の生活に戻りたいけれど。

本来的には国や地方自治体からの方針に沿って皆で協力していく形が望ましいと思うが、現状は難しい。国の方針はよく分からないし正しいとも限らない。そしてその方針に従いたくない人もいるだろう。

私も全ての方針には従えないと思う。

それでも最短での収束・終息を望むなら皆で一丸となって最適な方法を選択するのが良いのだろうが、果たしてどうなるか。

さて最後に、非常に当たり前のことながら私は別に他人の行動にとやかく口を出すつもりはありません。それぞれが自分の考えを持って行動しているのだから、もちろん尊重させて頂きます。

そしてこれは綺麗ごとかもしれませんが、皆を応援したい気持ちがあります。

まあしかしコロナウイルス感染のことを無視した行動は慎むべきでありましょう。そんな人はほとんどいないと思いますが。

とりあえず私は自粛と考えるよりも自衛と考えて行動していくことにしました。自分のためと家族のために感染しない・しにくい行動を続けていきたいと思います。それが医療現場の負担軽減にもつながるとも思う。

そしてなるべく早くコロナが収束・終息することを願います。個人的にはやはりワクチンの普及や改良・開発に頼るしかないと今は考えています。

あなたはコロナ禍が終わったらどこに行きたいですか?

私はまず東京へ行きたいです。妻と子供をおばあちゃん(妻の母)に会わせてあげたい。そして自分は夜の東京を満喫したいですね。いや昼から、朝からでもぶらぶら気ままに。

実は私は食いしん坊なので行きたい飲食店が沢山あるのですよ。

皆がそれぞれに好きな場所で好きなことが出来る日が早く来るといいですね。


kuruma

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