金縛りの話

金縛りにあうことがなくなってから何年たったことでございましょうか。おそらくそれほど歳を取ったということでありましょう。

ここでいう金縛りとは睡眠中に意識があるにもかかわらず身体が動かせなくなるアレのことでございます。わたくしも若かりし頃はチョイチョイあっていたものでございまして、世界中に事例がございますように特段めずらしい話ではございません。

しかしそんな中でもほんの少しめずらしいと思える体験がございますのでお話ししてみたいと思います。

25年ほど前のちょっとばかり奇妙でほんの少しだけ怖いと感じたお話しでございます。

それほど怖い話ではないとは思いますが、金縛りのお話しですので苦手なお人は聞かない方がよろしいかと存じます。聞いてくださるお人はぜひ最後までお付き合いを。

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いつか一緒に旅行に行きたいね。

いつかというものはなかなか実現しないものでございますが、それでも何とか予定が立ちまして彼女と二人で一泊二日の旅行へ行くことにあいなりました。

行先は彼女と仲の良い友達がおすすめしてくれた場所であり、東京からのアクセスも良い観光地でございます。

車はもちろん免許すらない私たちにとって公共交通機関で行きやすい場所にすることは優先事項でありました。

それと互いに訪れたことのない場所であったことも理由の一つ。

逆に言うとそれら以外に行先に大きなこだわりはなく、二人で旅行が出来れば満足。宿泊先も友達にすすめられるがままに決めたのでございます。

当日は駅で待ち合わせ。特急列車で目的地へ向かいましたが、鉄道に興味がなかった二人にとってはどんな列車に乗ったかよりも並んで座れる座席がなによりでありました。

途中で電車を乗り換えて目的地に到着。

8月上旬の暑い日でありましたが、都内よりもすごしやすい気候で楽しく散策出来たのでございます。

徒歩で宿泊先となる旅館に向かったと記憶しておりますが、バスを利用したやもしれません。

旅館の中に入ると少し薄暗くひんやりとしておりました。

玄関に誰もいなかったものですから、勝手に上がっていいものか二人で顔を見合わせた後、私が「すみませーん!」と声をかけたのでした。

するとどこからともなく、お婆さんが出てきて下さいまして挨拶をしてチェックイン。建物は和風な雰囲気で、ある程度年代物な様子でしたからチェックインというよりは受付というべきでありましょうか。

簡単な説明を受けてから部屋へと案内されました。夕飯は時間になったら食堂へ行けば用意されているとのこと。

部屋は広々としており、二人では持て余すほどでございました。

簡単に荷解きを済ませ宿の近くを散策してからお風呂に入ることに。

この宿は温泉地にあり、温泉好きにはうってつけ。しかしながら温泉にも全く興味がなかった二人であり、特に私はシャワーの後に湯船につかった記憶すらないのはご愛敬。

さて夕飯の時間となり食堂へ行きますと、私達以外にも宿泊客が何組かいる様子でありました。

夕飯を済ませて部屋へ戻ってまいりますと、すでに布団が二組敷いてあり、いかにも旅館らしいサービスだと感じたものでございます。

こうして初めての旅行の夜が更けて参りましたが、普段はなかなか一緒に過ごすことが出来なかった二人に早く寝ろというのも野暮なこと。

話は尽きることなく、またそれ以外のこともなにやらあったやもしれませぬ。

それでも翌日には帰宅するものですから、時計が午前零時をまわり1時を指すころにはそろそろ寝ようとなり、電気を消して目を閉じたのでございます。

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1時間ほど寝たと感じました。

そして同時に身体が動かせない状態であることを自覚したのでございます。

目が開いていたのか閉じていたのか判然としませんが天井が見えていたのですから、開いていたのでありましょう。

しかしながらこの時点で焦りはございませんでした。

そう、金縛りなどというものはそれ程めずらしいものではないのですから。

とはいえこのまま動けないのも困ります。そこで何とか動いてみようとしますが指1本動きません。

ここで不思議なことに、わたくしはこの状況に少し立腹してしまったのでございます。若気の至りと申しますか、「なめんなよ」という気持ちがふつふつとわき上がりました。

指一本動かせない身ではございますが何とか抵抗してやろうと考え、あることを思い出し実行してみたのであります。

『九字真言』もしくは『九字護身法』というものをご存じでありましょうか?

いわゆる密教の邪気を払うとされているもので、「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」の九文字を唱え、それぞれの九種類の『印』(手のポーズ)もしくは、刀印と呼ばれる手を刀に真似たようなポーズをとり、胸の前で格子状に縦四本と横五本に切る(手を動かす)もの。

なにやらマニアックな展開となってしまい恐縮でありますが、漫画から得ていた知識をここでぶつけてみたのでございます。

勿論のこと手は全く動かすことが出来ず、口すら動いていませんから心の中で九文字を唱えるのみの行為。

そうして最後の『前』を唱えおえるやいなや、身体中が何かに縛られたうえでぎゅーっと締め付けられるようになってしまったのであります。

ことここに至り、急激な焦りを感じはじめ改めて声すら出せない状況だと再認識。心の中で「ヤバいヤバい」を連発。

より強く身体を動かそうと試みますが、強く動かそうとすればするほど締め付けも強くなり、どうにもなりません。

どれほどの時間を抵抗していたか定かではございませんが、これは無理だなと感じるタイミングがございました。

あきらめてふと力を抜いてみたところ、締め付けも緩んだのでございます。

そこでそのまま力を抜ききれば良かったものを、何故か愚かにもものは試しと力を入れてみたところまたまたぎゅーっと始まってしまい、大慌てで力を抜き何も考えずだらーん。

しばらくするとソレが終わったことが感じられ、身体が動くようになったのでございます。

良くも悪くも。いや不幸中の幸いと申すべきでありましょう。声を上げることが出来なかったので隣で寝ている彼女を起こすこともなく済み、そのままわたくしも眠りにつくことが出来たのです。

もちろん確実な時刻は分かるはずも無いのですが、いわゆる丑三つ時の出来事であったと感じられたのでございました。

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明けて翌日。

朝食は食べたと思うのですが何を食べたかは覚えておらず、チェックアウトもしたはずなのにどう支払いをしたのかも覚えていないのは、25年も前と思えば不思議なことと言う必要はないと存じます。

ただ思い返してみますると、最初の受付をしてくださったお婆さん以外に宿の人を見た記憶がございません。

また、この宿をすすめてくれた友人はおそらくここに宿泊したことがあるはずなのですが、改めてそのことを問うてみる気にはなれませんでした。

そして25年経った今でももう一度あの宿に泊まろうとは思えませぬ。

しかしながらその旅館の名前ははっきりと覚えておりますものですから、Google検索してみましたところ確かにかの観光地に同名の宿がございました。

Mapで場所も確認出来たのですが、記憶力の悪いわたくしの頭ではその場所があの時の場所と同一かは判断出来なかったことはお詫び申し上げますが、何となく違う場所に感ぜられました。

そしてその同名旅館のHPを拝見しましたが、すばらしく綺麗な建物と美味しそうな料理の写真もあり、やはりあの旅館とは別なところと感じたのでございます。

ただ一点。

館内の説明欄に「明るくなった玄関」と記載されておりましたことに目が留まってしまったことは事実でありますが。

ここまで長々と喋ってしまいましたが、これが25年ほど前のちょっとばかり奇妙なお話しでございます。

ああ、そうそう。大切なことを話し忘れるところでありました。

金縛りを特段めずらしいと思わないわたくしが、ほんの少しだけ怖いと感じたのは帰りの電車で彼女の話を聞いたからでございます。

あの時。

隣ですやすやと眠っていたと思っておりました彼女ですが、時を同じくして金縛りにあっていたとのことでございました。


kuruma

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