パクチーの好きと嫌いとそのワケと

パクチーが入った料理を食べて吐きそうになった経験がある。それ以来パクチーのことを考えるだけでも胃がひくついてしまうほどに嫌いだ。

こんなつぶやきをTwitterに投稿したところ、吐き気の原因はパクチーではなくて他の食材のせいではないかとご指摘を頂いた。


にわかには信じられなかったが、確かにその出来事があるまでパクチーをほとんど意識したことがなかった。つまり好きでも嫌いでもなかった。そして考えてみればパクチーだけを食べた経験はない。

もしかしたら私はパクチーが嫌いではない可能性がある。しかしあの時の吐き気は尋常ではなかった。もう一度だけ食べてみようかという好奇心と、いやあれはムリだろうという拒絶反応の葛藤。

そこで思い出されるのは2か月前のあの挑戦。以前の記事に書いた『梅干し嫌いは克服出来るものなのか?』である。清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟が必要かと思っていたら、保育園の舞台から降りるくらいの感覚で食べ進めることが出来たのだ。

あの体験が後押しになり、思い切って約7年ぶりにパクチーを食べてみることに決めた。

梅干しよりも過酷な挑戦であるのは間違いない。もしかしたら一口も食べられずに終わる無謀な挑戦かもしれない。そもそも挑戦する必要がない。しかし決めたのだ。

これはパクチー嫌いがパクチーに挑んだ記録であると共に、パクチー嫌いによるパクチーの考察である。

果たして私はパクチーの魅力を感じられるのだろうか?また、美味しいと感じることが出来るのであろうか?

パクチーを無視出来ないあなたに読んで欲しい決死のゆるゆる体験レポート。

話が長いので、お暇な時にゆっくりと読んでね!

目次

1、入手と試食
2、パクチーって何?
3、マイナス×マイナスはプラスか
4、調理の可能性
5、好きか嫌いか

1、入手と試食

なにはともあれ、まずはパクチーを入手するところからである。人生初のパクチー購入のために以前より目星を付けていた、田舎にしては大きいスーパーへと向かった。

ほんの少しだけパクチーが見つからないことを期待しつつ野菜売り場を探していくが、すんなりと見つけることが出来てしまった。田舎でも入手出来るほどに一般的な食材ということであろう。

なるべく見た目が良さそうなものを選び購入。ちなみに国産品であり、画像ではパッケージに隠れて見えないが根が付いたままの状態で売られていた。


帰宅後、ドキドキしながらポテチを開封する要領でビニール袋の口を開けた。この瞬間に匂いが来る!と、思ったが流石に匂わなかった。

おそるおそるビニール袋に入ったままのパクチーを顔に近づける。しかし不思議なほどに匂わない。

ここで少し不安になったのはパッケージに記載されていた文字のせいである。

実はデカデカと「パクチー」と書かれていたその下に、小さく括弧つきで「香菜・コリアンダー」との記載があったのだ。

何となくうろ覚えの知識でそれらはパクチーとほぼ同じものだと考えていたのだが、もしかしたら違うものを購入してしまったのだろうか?

とりあえずビニール袋から取り出して水洗い。軽く水気を拭き取りざく切りにしてみた。

すると来た!

あの何とも言えない独特の匂いだ。どうやらパクチーは葉や茎を切るとあの匂いが発生するらしい。

しかしながら覚悟していたよりは耐えられる匂いである。


さてついに試食なのだが、ここで衝撃の事実に気付いてしまった。

あれ?パクチーだけを食べるっていきなりハードル高すぎじゃん。。。

そう例えばニンジンやピーマンが嫌いな人に、いきなり生のままを食べさせるのは無謀であろう。ニンジンならグラッセ、ピーマンなら肉詰めなどから徐々に攻めるのが王道。

しかし今回の場合はパクチー単体での好き嫌いをハッキリさせる必要性がある。食べるしか道はないのだ。

理屈では分かっていたから試食を決めたのに、しばし悩んだ。悩んだが食べてみないことには始まらない。意を決して小さな葉っぱ部分を口に入れた。

もわんとした風味が口に広がる。

その瞬間に確信できた。ああ、やはり私はパクチーが好きではない。嫌いだ。口の中、ノドに近い辺りで縦方向にもわんもわんと風味が回る。

思わず嫌な記憶が頭をよぎる。が、耐えた。

耐えたが、舌がビビッてしまっているせいなのか味はよく分からない。とにかく匂いというか風味のクセが気になる。

とてもではないが美味しいとは思えない。しかし少量とはいえ何とか飲み下すことが出来た。何やらこの時点で頑張った自分を褒め称えてあげたくなったが、まだまだ本番はこれからである。

一応3種類の食べ方を予定しており、
(1)トルティーヤ
(2)麺類の薬味
(3)タコライス

以上のラインナップを3日間に分けて試していく。

とはいえ試食に成功したことは偉大なる一歩であった。パクチーだけを食べた時の味と雰囲気を知ることができたのだ。

食べる寸前の涙目はここだけの秘密。

そしてこの時点で、私は間違いなくパクチーが苦手である。

2、パクチーって何?

さて実食のレポートの前にパクチーに対する疑問点を解消しておくとしよう。この第2章ではパクチー嫌いの目線でパクチーを考察した報告をさせて頂く。

(話が長くなるのでご覚悟下さい)

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さて先ほどからパクチーパクチーと書いており、実際に食べてみたのだが本当にそれはパクチーなのであろうか?

気になるのは例のパッケージに記されていた、香菜とコリアンダーの文字である。

そこで図書館でパクチーについて調べてみることにしたが、パクチーの文字が見当たらない。いや、料理コーナーのタイ料理本でかろうじて見つけることが出来たが、食材やハーブの辞典の索引に記載がないのだ。

検索用のパソコンにも「パクチー」を入力してみたが、使い方が悪いのか田舎の図書館だからか上手くヒットしない。

そして以前より浮かんでいた疑問が頭をよぎる。

パクチーって、パクチーじゃないのでは?
(ちょっと何言ってるかわからない!)

いやパクチーはパクチーなのだが、正式名称があるのではないかということだ。

そこでパクチーにこだわって調べていた方向性を微調整。辞典にて香菜とコリアンダーも調べてみると簡単にパクチーが見つかる。

パクチーは香菜でありコリアンダーで間違いがなかった。

パクチー好きな人ならば常識なのかもしれないが、パクチーとはタイ語である。つまりパクチーはパクチーで正しいのだが、どうやらそれはタイと今の日本で有名な呼び方。

少なくとも田舎の図書館の中においてはコリアンダーとの呼び名が一般的なのである。

そして香菜はシャンツァイと読み中国語。

和名としてはコリエンドロ。

ただし他にも多くの呼び名があり、胡荽(こすい)・カメムシソウ・チャイニーズパセリ・シラントロ、が主なところだ。

そしてコリアンダーの学名である Coriandrum はギリシャ語の koris と annon を語源としているのだがその意味は、カメムシとアニス(コリアンダーと同じセリ科のハーブ)とのことである。

ちなみに葉と茎の部分にだけ注目していたが、種子(果実)の方がむしろ私には馴染み深いようで、カレーによく使われるスパイスであった。

つまり意識せずともパクチーを摂取していたようだ。しかしながら私の苦手は葉であり茎である。コリアンダーシードは別物と考えよう。

さて話を戻して(?)カメムシである。カメムシといえば特徴的なのはやはり匂い。その特徴的匂いの虫が名前の由来となるほどのパクチー。なるほど。推して知るべしである。

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改めて葉と茎に限って調べてみると、東南アジア・中国・インド・中南米・ポルトガルなどで好まれているようである。なんとなくイメージ通りな国と地域であったが、ポルトガルだけが意外であった。

対して日本はどうであろうか?

和食を考えてみるとパクチーが使われている様子は感じられないが、意外なことに日本への伝来は古かった。

平安時代の『和名類聚抄』(辞書らしいよ)や『延喜式』(法典みたいです)にも記されており、江戸時代の『農業全書』(日本最古の農業書であり指南書だって)にも記載がある。

おそらく平安の頃は中国から胡荽(こすい)として、江戸にはポルトガル人により改めて伝えられ、和名であるコエンドロが付いたのはこの頃のようだ。

しかし私を含めた多くの日本人がパクチーのことをコエンドロとは呼んでいない。つまりパクチーは日本でパクチーと呼ばれるようになってから日本に定着したのではなかろうか?

今回の図書館には残念ながらパクチーの書物が見つからなかった為に、あくまでも私個人の体験であるが昭和49年生まれの田舎の子供にはパクチーを食する機会がなかった。

そしてかなりざっくりな感覚で恐縮であるが、平成の頃になり東南アジア系の食べ物・いわゆるエスニック料理が一般的になってきてから、徐々にパクチーが当たり前になったのではなかろうか。

つまり平安のころから考えると約1000年。江戸時代から考えても300年くらいの間は日本人にパクチーは好かれなかったようだ。

どうやら私がパクチーを嫌いなのは不思議なことではなく、昔ながらの日本人らしいともいえる。

ではなぜ1000年もの長きに渡り、不人気であったパクチーが今では多くの日本人に愛されるようになったのだろうか?

パクチー嫌いの私には想像もつかないが、その謎に迫る為にも実食あるのみである。

3、マイナス×マイナスはプラスか

実食にあたり、どの料理でパクチーを試すのが理想なのか考えたが、コロナ禍の今では外食・特に遠方へ行くことは不可。自宅で試せる食べ物に限られてしまうため、「本場の味」は諦めることにした。

そこで日本の田舎でも簡単に手に入り、パクチーを合わせると良さげなものを自分なりに選んでみた第一弾が、コンビニで購入できる「トルティーヤ」である。

実は私がパクチー嫌いになったきっかけは、アメリカを訪れた際にメキシコ料理店で食べたタコスである。冒頭で少し触れた通り、タコスを齧った瞬間に吐きそうになった。

このタコスに使われている生地がトルティーヤなのだが、メキシコではトウモロコシの粉から作られ、ぶっちゃけコレも臭いということを教えて頂いた。

つまり日本人に食べやすくアレンジされているであろうコンビニのトルティーヤにパクチーを合わせれば、美味しく感じられるのではないかと考えたのである。


入手した某コンビニのトルティーヤのラベルには「全粒粉入り」との文字が躍っており、安心の小麦粉から出来ていることがうかがえる。

まずはそのままの状態でトルティーヤを食べて、味や匂いにクセがないか確認。うむ。やはり何の問題も感じずに食べることが出来、美味しい。

次にいよいよ生地と具のすき間にパクチーを差し込み食べる。

うーん。微妙だ。

パクチーだけを食べた試食時と比較すると明らかに食べやすいが、トルティーヤだけを食べた時と比較すると単純にパクチーの風味と匂いが足されたぶんだけ食べづらくなった。

算数的に例えてみると、パクチーのもつマイナスの部分をトルティーヤがもつプラスの部分に掛け合わせたら、結局マイナスになったと感じる。

パクチー好きの人ならばプラス同士の掛け合わせだから良いのであろうが、これは私にとっては失敗であった。正直、美味しくない。

しかしながらメキシコ料理店で食べた時のあの強烈な吐き気は襲って来なかった。つまり私はあの時、トウモロコシの粉とパクチーのWパンチにノックアウトされたということであろう。

チャレンジ第1弾のトルティーヤ&パクチーは、残念ながら美味しいと感じられなかった。

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チャレンジの第2弾は麺類の薬味として使ってみたいと考えた。これは私の中でパクチーといえばベトナム料理である「フォー」のイメージが強いからだ。

そこで当初はスーパーで購入出来るインスタントのフォーにパクチーを入れてみるつもりであったが、成分表示を見るとコリアンダーの文字が。つまりここにパクチーを入れるとパクチー増し増しが完成してしまう。それはダメダメだ。

他のメニューを考えるが、うどんや蕎麦では先のトルティーヤのごとく単純にパクチーぶんだけ食べづらくなることが目に見えている。

そんな時、偶然ながら妻が「冷やし中華」を食べたいと言い出す。

これだ!と思った。

何を隠そう、私は冷やし中華が苦手である。(昔は大嫌いであったが今は食べられるようになった)

根拠は無いのだが、苦手なパクチーに苦手な冷やし中華を合わせれば、例の算数的な考え方でいけばマイナス×マイナスでプラスに転じることが期待出来る。(ハズである)

トウモロコシの粉とパクチーのWパンチにやられたことも忘れて、妻が作ってくれた冷やし中華にパクチーを合わせてみることにした。


まず見た目の話をさせて頂くと、大満足であった。何となく想像していたパクチーを使った麺料理のイメージに近い色使いである。緑色の反対色である赤色が効いているし、元気の良い黄色もいい。

そして肝心の味の方であるが、うーん、やはり微妙。

結局のところパクチーがそこにそのままある以上、パクチーはパクチーなのだ。まず匂いが鼻にきて、口に入れれば風味がくる。

その匂いと風味が苦手なのだからどうしようもない。

ここで一つ思いついたのは、パクチーをもっと細かく切り刻んだらどうだろうかというアイディアだ。葉が大き過ぎるが為にインパクトが強すぎると思うから。

しかし残念ながらこれは実行に移せなかった。理由はパクチーはおそらく切れば切るほどにあの匂いが強くなる。ビビッてしまった。

これで2連敗。美味しいとは全く感じられない。

このまま生のパクチーをこのまま使っていても好きになるとは思えない。そこで最後のメニューではパクチーを加熱調理してみることを思いついた。

4、調理の可能性

最終チャレンジである第3弾のメニューは「タコライス」。そう日本食の基本ともいえる白米を使用したメニューとパクチーを組み合わせてみたのだ。

ご存じの人が多いと思うが一応説明しておくと、タコライスとは沖縄発祥の料理である。そしてタコスの具をご飯の上にかけた料理である。そうあのタコス。

アメリカのタコスで始まった私のパクチー嫌いを日本のタコライスで克服出来ればドラマチックでカッコいいなどと考えたのだが、それが吉と出るか凶とでるか。

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まずはパクチーの加熱調理から。焼く・煮る・炒める・蒸す・などが考えられるが、ここは一番簡単な炒めるを選択。

そして秘密兵器である「マジックソルト」の投入を決めた。伝説の三ツ星シェフ・ダニエル=マルタン氏監修のスパイス&ハーブ岩塩。エスビー食品株式会社の製造販売である。

もちろんのことパクチーもハーブの一種なのだが、ハーブと考えずに臭みのある食材と考え、マジックソルトのスパイスとハーブの力で美味しくしてしまう作戦だ。

フライパンを熱して油をひき、パクチーを投入。油はオリーブオイルを使用してみた。

炒めることでパクチーの香りが増す可能性を心配していたのだが逆で、あきらかに匂いが減った。うれしい誤算である。

とどめにマジックソルトを多めに投入して完成。炒めたことで当然ながらカサも減り、食べやすくなったことが一目瞭然。下準備はバッチリだ。


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タコライスのソースは国産の某有名メーカーのものを使用。温かいご飯の上にレタスをのせてソースをかけるだけで完成するすぐれものである。

トマトなどを乗せるのもおすすめらしいがトッピングは粉チーズのみとした。


いざ最後の挑戦。まずはパクチーなしのままでタコライスの味を確認。クセもなく美味しい。マイルドな味わいだ。

さあパクチーのマジックソルト炒めを投入!


パクチーをタコスソースに混ぜ合わせるようにして、ご飯とレタスと共にスプーンで口へ運ぶ。パクチーの匂いは今までで一番少ない。

口に入れて咀嚼する。と、やはりパクチーの匂いと風味が広がってきた。

過去2品と比べて間違いなく食べやすい。しかし過去2品と同様、パクチーが入ったことによりその匂いと風味分だけはやはり食べづらいと感じてしまう。

そして美味しさが増したか否かで判断すると、否である。

ここに3連敗が確定した。

5、好きか嫌いか

挑戦を終え改めて考えてみても、パクチーが好きか嫌いかのアンケートがあれば迷わず嫌いに投票する。

しかしもう2度と食べたくないかと聞かれたら、もう少し食べてみたいと答える。いや正確にはもう少し試してみたいであろうか。

パクチーの純粋な匂いと風味を知り、多少の知識を得たことで色々なイメージが膨らんできた。

今回用意したメニューはどれもパクチーのクセだけが飛び抜けていた。これにもう少し違うクセの強いものを合わせてみたらどうだろう?タコライスにタバスコを加えてみても良かったかもしれない。

何とも不思議なことである。考えただけで胃が引くつくほどに嫌っていたパクチーを食べ、やはり嫌いだと再認識したにもかかわらず、まだパクチーのことを考えることが出来るのだから。

思わず浮かんだフレーズは「嫌よ嫌よも好きのうち」。

嫌いが好きに転じることがあるのだろうか?あり得ないことでは無いが珍しいことである。

そしてパクチーの何が嫌いなのか改めて考えると、結局のところ「匂い」である。匂いを臭いとかダメだとか感じるのだ。

しかし嫌だと分かっている匂いを欲するものだろうか?

まだ答えは見つからない。

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さて『パクチーの好きと嫌いとその訳と』と題して話を進めてまいりましたが、いかがだったでしょうか?

長かった話もいよいよ終盤。パクチーに対する気持ちは揺らいだままですが、あとがき代わりに何やら結論めいたことを書いてみます。

匂いと風味のクセが特徴のパクチーを、好きな理由と嫌いな理由は一緒だと思うのです。

そしてこれはもっと早く気付くべきことでありました。なぜならばTwitterで実施したパクチーの好き嫌いのアンケートにて、好きな人も嫌いな人も「その訳」がほとんど一緒だったのですから。


好きな人も嫌いな人も、曰く「あの匂いが」「あの香りが」「あのクセが」。

パクチーはあの匂いとクセだからこそ愛されて、あの匂いとクセだからこそ嫌われるのです。あの匂いとクセが、ある人の熱愛の対象であり、ある人の嫌悪の対象になる。

そして匂いの感じ方は色や音と比べて個人差が激しいように感じます。その理由の一つは認識のすり合わせが難しいからでありましょう。

色や音を表す言葉は数限りないほどにあるように思います。また、色も音もある程度は数値化されている。

対して匂いは、言語化も数値化も難しいと思うのです。

パクチーの匂いはカメムシの匂いと例えられることが多いのですが、ではカメムシの匂いはどう例えられるでしょう?

そう、パクチーに例えられるのです。

少し無理矢理な考えかもしれませんが、匂いには言葉では表現出来ない、数値化も難しい謎の魅力があるのではないでしょうか?

そしてそれを人の魅力に例えるならばフェロモンといえるかもしれません。

最終的な私の結論、パクチーの魅力とはその匂いとクセであり、それは言葉では表すことが出来ずただ体験してみるしかないことである。そしてときにそれは苦痛と快楽を伴うかもしれない。

そして視点をがらりと変えて、パクチーの側から人を見てみれば、身を守るために発している匂いの為に人に刈られることになるとは思いもよらない事であったでしょう。しかしその匂いを愛されたおかげで今や世界中で繁栄しているとも考えられます。

以上が私のパクチーへの挑戦の記録と考察でありました。

ここまで長々とお付き合い下さりましたことに、深く深く感謝申し上げます。お読み頂き本当にありがとうございました。

最後に冒頭の自分自身への問いに答えてお別れです。

『果たして私はパクチーの魅力を感じられるのだろうか?』

はい。微量ではありますが、確かに感じることが出来ました。

『美味しいと感じることが出来るのであろうか?』

いいえ。残念ながら、美味しいとは思えませんでした。

私は今でもパクチーが嫌いです。

でもいつかまた食べてみたい。可能であればメキシコでタコスと一緒に、タイでトムヤムクンに入ったものを、そしてポルトガルでタコ飯(リゾット)の上に乗ったものを。

そして願わくば、それらの全てをパクチー抜きでも食べてみたい。

結びにそれ以上の願いとして、一日も早いコロナウイルスの感染収束を。

願いは叶えられるものと信じて。

【パクチーの好きと嫌いとそのワケと】

~fin~


kuruma


【参考文献】
『世界のハーブ&スパイス大辞典』
ジル・ノーマン 著
水野仁輔 監修・翻訳

『知っておいしい ハーブ辞典』
伊嶋まどか 監修

『くさい食べ物大全』
小泉武夫 著

『地域食材大百科 第3巻 果実・木の実,ハーブ』
編者 社団法人 農山漁村文化協会

『世界食材辞典』
監修 杉田浩一 村山篤子 
翻訳(五十音順)大羽和子 小川宣子 貝沼やす子 村山篤子 茂木美智子 和田淑子

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