一部マスコミによる戦争体験の風化を危惧する論調に対して
終戦から75年以上が経ち、戦争を実際に体験した方々は高齢になられ、直接お話しをお聞きすることは年々難しくなっています。だからこそ、その貴重な体験談は決して風化させてよいものではなく、語り継ぐべきものでありましょう。
しかしながら、一番語り継ぐべき人が語り継いでいない気がしてなりません。
一番語り継ぐべき人とは誰か?
私は戦争体験を取材した人(マスコミ)だと思うのです。
もちろん私も偉そうなことを言える立場ではないのですが、それでもどうしても主張させて頂きたい。戦争を実際に経験された方だけでなく、その方々に取材をした人が語り継がなければならないということを。
二人の祖父から聞いた戦争体験
一般の人が身近に戦争体験を聞ける機会としては、身内・家族かから聞くということでありましょう。私は40代ですが、母方の祖父から聞きました。一番聞く機会が多かった時期は小学生の頃。祖父がお酒を飲みながら話してくれたことを多少あやふやながら覚えています。
ちなみに祖父は最初は近衛兵であったそうですが、後に陸軍としてインドネシアやマレーシアなどの東南アジア方面へ出兵していました。
色々な話を聞きましたが一番記憶に残っているのは「天皇陛下万歳と言えば偉くなれたが、絶対にそれは言わなかった」という言葉です。後に母から聞いたところによると、何らかの質問に対して滔々と西田哲学を語ったそうです。おそらく、そのせいで随分と疎まれたのではないかと推測されます。
あとは「寝ながら歩いた」という話。どこかの川の近くを部隊で移動している話で、子供心に寝ながら歩くのは無理だろうと感じたものですが、後に他の方のお話しをお聞きすると、極限状況下においての行軍では珍しい話ではないようで、今の自分の暮らしからすると考えらえない状況です。
祖父は自分で「頭が良かったから」と言ってしまうような今ならイタイ様な人で、その分体の強さは少な目な人でしたが、そんな人でも戦争の最前線で戦っていれば人の生死や負傷に大きく関わってきたと思います。しかし、悲惨・凄惨な話は聞いたことがありませんでした。
つまり、私が祖父から聞けた戦争体験談からは、戦争の大変さや人としての考え方は学べましたが、悲惨さは知ることが出来なかったのです。
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20代後半の頃に、思いがけず戦争体験談を聞く機会に恵まれました。相手は妻の祖父。この方は海軍に所属されており、大きな戦艦に乗っておられました。
当時、妻の実家に泊まりに行くと祖父母の居住スペースで寝泊まりさせて頂き、夜になると「少し飲もうか?」ということになり色々な話を聞いたのですが、その時に戦争の話もしてくれたのです。
戦艦の中での暮らし、特に貴重だった甘いものについてや、乗っていた戦艦が沈んでしまった時の話まで。
特に印象的だったのは「天皇陛下万歳、と言いながら死んでいった人は少なかったねえ。大抵はおかあちゃーんだったり、母親を思いながら」との言葉。そして忘れてはいけない、私が自分の子供にそして誰かに確実に語り継がなければいけないのは「戦争はやだねえ」という言葉。「何にもいいことはない」そうです。
この話をしてくれた後の、何とも言えない疲れたような重い、心底いやだよという表情は忘れられません。
そして、妻は私と結婚するまで祖父からほとんど戦争の話を聞いたことが無かったそうです。これはもちろん仲が悪かったわけではなく、むしろ逆で孫娘が可愛いかったからだと思っています。妻と祖父母はとても仲が良かったから。
取材をしたあなたへ
戦争での軍隊体験者の方で、ご自分のお子様やお孫さんへ戦争の悲惨さや大変さを克明に話せた人は少ないのではないでしょうか。しかしながら戦争体験者の皆さんは、それぞれが可能な限り話をしてくれている。
そう、一番は取材した人・マスコミの人、あなたへ話してくれているハズなのです。妻の祖父は多くの取材を受けていたそうです。晩年は一切断っていましたが、多くを取材したあなたに語ったと思うのです。(私はその疲れたような表情を見てしまった後に、質問すらすることが出来ませんでしたが。)
好き好んで話した訳ではないでしょう。それでも話してくれたのは語り継いで欲しいからではないでしょうか?つまり、取材したあなたに話したのですが、それはあなたのみならず多くの人に向けて話してくれたと思うのです。子供には、孫には話せないことまで。
そして、私は取材したあなたに問いたいのです。話を聞いてその後、どうしていますか?
ご自分の著書や番組・研究などに使って、その後は?一回きりで終わりですか?
戦争から75年以上経てば、経験された方が少なくなるのも当たり前で、今こそ直接に話を聞いたあなたが語り継ぐべきではありませんか?いつまで戦争を体験された当事者におんぶにだっこされているのですか?
きっとしっかりと語り継いで下さっている人もいらっしゃると思います。ありがとうございます。
しかしながら毎年、7月くらいになると8月を前にしていまだに新しい戦争体験の話を漁っている様子も見受けられます。真新しさを追うのではなく、今まで聞いた膨大な話をきちんと伝えていくことも必要ではありませんか?
マスコミのほんの一部の人だけの声なのかもしれませんが、いわゆる「語り部」の高齢化による戦争体験の風化を危惧する論調は本当に悲しくなります。戦争体験者の方々は多くを話してくれたではありませんか。
取材を通じて得た戦争体験談を、風化させることないよう語り継いでいただくことを、マスコミ各位に・取材をしたあなたに切にお願いしたいと思います。亡くなられた方はもう語ることが出来ないのですから。
補足
最後に、二人の祖父の話しに少しだけ補足をさせて頂きます。
私の祖父は、そんな訳で戦時中は天皇陛下万歳を口にしなかったそうですが、陛下に対して皇室に対して決して否定的な考えではなく、好意と敬意を抱いている様に思えました。戦後何十年も経ってからですが、祖母と一緒に皇居勤労奉仕に参加したこともあり、菊の御紋が入ったお土産(ベルトかタイピンだったと思います)やお菓子類を買ってきて満足そうでした。
妻の祖父ももちろん、陛下や皇室に対して好意や敬意を抱いており、その様子は観ているテレビ番組やその感想からも、うかがい知れるものでありました。
そして二人に共通しているのは、国民の祝日には国旗の掲揚を欠かすことはありませんでした。
あとがき
今回は自分が長年、思い続けていた感情を吐き出させて頂きました。ご不快になられた方にはお詫び申し上げます。
それでもどうしても文章にしてみたかった思いであります。
恥ずかしながら私は先の大戦が、歴史認識的にどのようなものであったのか、不勉強でしっかりと説明することが出来ません。
それでも、鹿児島県南九州市にあります『知覧特攻平和会館』や、東京都千代田区にあります靖国神社の『遊就館』を見学させて頂いた時のことや、二人の祖父からの話を思い出しつつ考えますと、やはり戦争がなくなることを願います。
文末で大変恐縮ですが、戦争の体験談を語って下さったすべての方に感謝を申し上げます。そして戦争で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りします。
kuruma